大間野町旧中村家住宅で和に和む。

今回は、埼玉県越谷市保存民家「大間野旧中村家住宅」のお話です。
昔々は江戸時代より、大間野村の名主さんの家が、平成9年に越谷市へ寄贈せれ、
古き良き当初の姿へ戻して、この場所にそのまま保存されています。
※ちょっといつもより文字数は多いかも、です。

大間野村の中村氏

すでに敷地内へ入っちゃってますが(^^;)お邪魔します、と。
実は越谷市には、民族資料館や郷土資料館がありません。
ちょっともったいない…残念です。
ですので、この日本文化的建物を知っていただきたく、記事を書かせていただきました。
ただし、素人調べですので、間違いもあるかとおもいます、その辺を考慮してお読みいただけると幸いです。

大間野旧中村家住宅前面
現在は、道路の関係上、裏から入場しますが、当時はこちらがお客様用(偉いお侍さん.etc)の玄関だったそうです。
家の方や村の方は右側の別口から入っていたようです。

こちらの中村氏の家紋は「左三つ巴」といいます。
家紋は平安時代の貴族の間からが、始まりだとあります。
この「左三つ巴」、時代のある家紋のようで、
人間の魂の形を表していたり、勾玉であるとか、弓を射るときに使う鞆(現在は使う人、いないかな…当時は着物を着て弓を射るから必要だったのか?経験者談)
に由来するなど、諸説あります。

なんにせよ、いかしてる~!!

家紋・左三つ巴
家紋の周りは、火事の魔除けか元担ぎに、波模様の瓦。
下には、竜神様がいらっしゃいます。細かい細工が施されています。
中村氏がこちらへいらっしゃった時ですから、今から300年~400年前に建築されたものでしょうか、少し曖昧です(^^;)

中村氏の名主への道

現地の観光案内の方から聞いた話(いわゆる語り部さん)をヒントにカキカキしていきます。
実際は知らべても、詳しく分からなかった…というのが本当です。

とりあえず、近所のおじさんよろしく、縁側からお邪魔します。
「お~い、中村のとっつぁんはいるかい、おじゃまするよ~」ってなもんです。

縁側
中村氏がこちらへ来たのには、訳があります。
つつけばなんにでも理由があるもんですな(笑)
この方の祖先は、戦国武将で有名な小西行長の家臣でした。と語り部さんがいってましたんです。

小西行長でピーン!とこない方へ、ざっくりと…
戦国時代から安土桃山時代の武将さんで、のちはキリシタン大名でもあります。
当時、天下統一していた秀吉のもとへ使者として使わされたときに、
その才知を気に入られ、秀吉の臣下となった、頭の切れる方だったようです。
その後、現在の熊本県宇都氏古城町に城を構え、水軍を率いていました。
朝鮮出兵を重ね、秀吉死後の大戦、関ヶ原の戦いでは、西軍・石田三成方の将として参戦するも、
敗戦し斬首となるのでした。
日本では西軍に与したことやキリシタン大名であったことから、正当な評価を受けれず、
逆にヨーロッパでは信仰に篤く、忠義を重んじる武将として知られているそうです。詳しくはコチラ

「とっつぁん、いねーのかい?あがらしてもらうよ!」

お邪魔します。
ここでやっと中村のとっつぁんの出番です。
この方、小西行長の家臣ということは、西の国の方だったのでは、と思います。
しかし、関が原の時点では家を守るため、東軍・徳川方についたそうです。(と、語り部さんが)
もしかしたら、信仰に篤い小西行長のこと、家臣にもキリスト教を勧め、中村氏も隠れキリシタンだったかもしれません。
また、関ヶ原の戦いの後は、外様として、この地を治める器を見込まれ、
転勤してきたのかもしれません。←この辺は完全に妄想です、ご容赦。

慣れない土地で、苦労したんだろうなぁ…

日当たりの良い渡り廊下。
ちなみに、さらに妄想を付け加えますと「中村」という苗字は、どうにも腑に落ちない。

語り部さん曰く、熊本近辺を領地にしていた小西行長の家臣で、
関が原では東軍に付き、その後、昔で言うところの大間野村へ移り住んで名主になったとのこと。
これが事実であれば、元は別の苗字を名乗られていた可能性があるのでは…?

「中村」という苗字は、読んで字のごとく、村の中、分村(北村や西村さん)に対して本村(本郷ともいう)を中村と呼んだことに由来するとか。
つまり、引っ越して名主になる上で、改姓したのかなぁ~、なんて…いや、妄想ですけど。
「中村」の名前は、歴史や由来が諸説あり、また九州に多い苗字なので、
たまたま中村氏が人徳もあるし、名前もいいし、名主やっちゃうか!って家康が言ったかもしれません。
You,yattyainaYo!!って。

お茶でも入れてもらって、一休み…
鉄茶瓶
そんなこんなで、中村氏の大間野村名主への道はここまで。
これより以降、平成9年までこちらへ住まわれていたそうです。
家を守るって、すごいことですよね。
もちろん今も中村家の方々は、しっかり先祖代々の役目を果たしていることでしょう、
家族が幸せに暮らすということを。

ここからは、和の風景を

築300年超え、やっぱり宮大工さんのお仕事はしっかりしております。
釘を一本も使わない、夏は涼しく、冬はたぶんちょっと寒い、いやっ!当時は群を抜いて暖かかったのかもしれない、お家でした。
にしても、畳といい、柱といい、床といい、この装飾といい、何故こんなに心に染みてくるのか。
癒されるわ~。

日本伝統の技
ちょっとしたところに、遊び心というか、大工さんの粋を感じる工夫が施されています。
また、今回、自分のカメラテクでは表現できなかった(現物よりもチープになってしまう)太い柱を見れば、
ここに住まわれた中村氏は、あつい持て成しを頂ける大きな人だったようです。
ああ、この畳みの上に、座布団丸めて横になりたい。

畳の大広間
実はここ、サザエさんの磯野家と同じ平屋でございます。
しかし、最初の写真を見ていただけると分かるかと思いますが、天井が高く、二階建てのような造りになっております。
さすが名主、緊急時には、日頃そこえ蓄えた味噌や塩、お漬物や干した穀物などを村の民へ分配していたようです。

この旧大間野町は越谷市にありますが、越谷という場所は、
大きな川に囲まれた、平野のような土地で、昔々は水害が度々あったそうです。

夕日の差し込む旧中村家
段々と日が暮れてきたこともあり、そろそろ終わりも近づいてきました。
夕日と格子と畳、合うなぁ、小学生の頃のそろそろ家に帰る時間を思い出す。

写真がうまく撮れていなかった、知識がなさすぎたなど、多々ありましたが、
最後は、民族・郷土歴史好きとして、お世話になったこちらの宣伝をば(笑)

越谷市保存民家 大間野旧中村住宅

この建物の周りは、よほどの神社やお寺好きな方でなければ、な~んもありません。
ただし、午前9:00~午後5:00まで、入館料は一般100円、小中学生は50円です。
しかも、連休だというのにまったく混みもせず、並ぶのが苦手なお父さんでも大丈夫(^^)b
語り部さんの案内も無料でお聞きすることが出来ます。
毎週月曜日は休館日なので、気をつけてください、周りは本当に何もないです。詳しくはコチラ
あと、トイレがすごく綺麗で、駐車場は無料で台数は5~10台位いだったかと思います。

これで最後…
氏神様のお社
この地域を守りし氏神様が敷地内にありますので、お参りしてのお帰りとなります。

最近では、ここまで立派な和風家屋に触れることもなくなってきました。
じーじとばぁばの家も近代化です(^^)
歴史のある家や建物をとおして、その時代背景や知恵を得ることは、ネット上調べていても難解で、
ましてや、資料館もないのであれば、忘れ去られてしまうことでしょう。肩こりハンパない。
役に立たない知識であれば、困ることもありませんが、
もしかしたら大事なことが隠れているかもしれません。

ぜひ、皆様ご近所の歴史ある建造物に興味を持っていただき、現代社会とは違った「はて、な?」を見つけて楽しんでみてくださいね。
今回は長かった、皆様、最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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